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赤とんぼ絵本のような光景で
秋になると赤とんぼが山から里に降りてくるのですが、目の前を数匹の赤とんぼが上がり下がりしながら飛んでいる様子が絵本の様でした。
紅葉見や坂を登ると真如堂
京都の真如堂は紅葉の名所です。実に綺麗なのです。紅葉見に、白川通りから少しばかり坂を登りますと、真如堂の伽藍と綺麗な紅葉なのです。
日暮れ時ツクツクボウシは鳴き急ぎ
初秋の日暮れ時にツクツクボウシが、つるべ落としの夕日の中で鳴き急いでいる様子が、実に侘びしくもあり実に俳味があるのです。
秋の朝お地蔵様にご挨拶
ある秋の朝の事でした。用事で朝に出かけると駅までの間にご近所にお地蔵様がおられるのですが、しばし足を止めてご挨拶致しました。
心までカラリと晴れる秋の空
般若心経の「空」を、臨済宗の山田無文老師は、秋晴れの雲一つない晴れた青空に例えて提唱しておられ、実際、秋晴れの日は、心が晴れます。
ヒグラシや時の止まった日暮れ時
ヒグラシが日暮れ時にちらほら、独特の鳴き声で鳴いている様子は、その時だけ、時間の流れが止まっているかのように錯覚致します。
半袖の腕の日焼けや秋の風
暑い夏の間、半袖の腕がそれなりに日焼け致しますが、初秋になって半袖の日焼けした腕に秋の風が心地良く感じられるのであります。
やわらかき夕日の中に彼岸花
秋のお彼岸の頃に彼岸花が咲きます。そのころは、夕日も夏と違って随分とやわらかく感じられ、その中に彼岸花が咲いているのです。
秋風や淋しさつのる古き寺
秋風だけでも淋しさを感じ、感傷的になりますが、郊外の古いお寺などに参りますと、より一層淋しさを感じ感傷的な気分になります。
彼岸花いのちが咲きし姿かな
彼岸花は、お彼岸に咲くので、ご先祖様方のことを連想するのですが、その赤い花の色とも相まって人のいのちのことにも思いめぐらすのです。
秋風や侘びしさつのる古き寺
郊外の山の麓にあるような古いお寺に参りますと、侘びしさがつのります。そこに、秋の風が吹いていたりしますと、なおさら侘びしさを感じます。
懐かしき秋の日差しのやわらかさ
秋の夕日の日光は、夏と違ってやわらかく感じられます。また、子供の頃の放課後の遊びなど思いだし、大変懐かしく感じられ、感傷的になります。
やわらかな秋の日差しに包まれし
夏が終わり、束の間のやわらかな秋の日差しに包まれて歩いていたりしますと、何もなくて侘びしさを伴った幸福感を感じるのであります。
やわらかな秋の日差しや真如堂
昔のことですが、秋晴れの日に真如堂を拝観したことがあります。日差しが秋らしくやわらかで、なんともありがたい気持ちになりました。
彼岸花真っ直ぐに咲き日は西に
彼岸花は上に真っ直ぐに蕾を付けた茎が伸び、そして花を咲かせます。また、彼岸花が咲く頃は、西方極楽浄土の方角に向かって日が沈みます。
風吹けど折れぬススキのたおやかさ
秋は、台風の季節でもありますが、ススキの穂は、強い風が吹いても、たおやかにしなり、強風をいなし、折れることなどありません。
目の前を上がり下がりの赤トンボ
秋に山から里に下りてきた赤トンボが、私の目の前を、上に上がったり下に下がったりしながら飛んでいて、なんとも風情を感じたことであります。
折れてなお花咲かしたる彼岸花
彼岸花の花は、長い茎の先に花を咲かせるのですが、その長い茎がなぜか折れていても、その折れた先には立派に赤い花を咲かせておりました。
秋風や山の麓に法然院
秋風が吹く中、感傷的な気持ちで東山の山麓の小径を歩いておりますと、法然院がありまして、参拝致しましたが、実に侘びしい趣あるお寺でした。
侘びしさや風吹かねども紅葉散る
秋が深まりますと綺麗な紅葉も、散りはじめます。それも、風などに吹かれてではなく、チリチリになった紅葉が散る様は侘びしいものです。