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秋深し針の止まった腕時計
もう、電池がなくなり、針の止まった動かない腕時計を持っておりますが、秋が深まった時節にそのような腕時計が妙に哀愁を誘います。
カナカナや想い出遠くなりにけり
夏が終わり、秋が始まる時節に、カナカナが鳴きますが、その鳴き声に、ひと夏の想い出が遠くなっていくことを感じ、感慨深いです。
鳴き急ぐツクツクボウシの夕暮れや
秋の始めに、ツクツクボウシが鳴きますが、決まって夕暮れ時に鳴きます。秋のつるべ落としの短くはかない夕暮れ時に鳴き急ぎます。
秋晴れやお地蔵様は見てござる
私の家の近所に、お地蔵様がお祀りしてありますが、お地蔵様の前を通るたびに、いつも私を見守って下さっておられるような気がいたします。
気が付けばツクツクボウシを聴き逃し
今年は、夏から秋の始めに色々なことが度重なり、秋の始めに鳴くツクツクボウシをあまり聴きませんでした。聴き逃したような気が致します。
秋の夜意気込みだけの本の山
秋の夜長に、自己研鑽の読書をしよう、という意気込みだけで本を数冊購入しましたが、意気込みだけで大変で、いまだ読み終わっておりません。
秋深し止まったままの腕時計
私の自室の引き出しに、針の止まったままの腕時計が数個あります。秋が深まるにつれ、それらを見ると、色々と感慨深いものがあります。
見上げれば今日も晴れなり秋の空
秋の空は、秋晴れのときは実に気持ち良いものです。秋は、気持ちの良い季節ですが、そんな秋晴れが続くと、より気持ち良いものです。
山道を登り終えれば秋の空
若い時、山好きの友人に連れられ、秋に登山をしたことがあります。細い山道を登り終えれば、秋の空がことのほか気持ち良かったです。
柔らかき夕日浴びたるススキかな
秋の夕日は、夏のそれと違って柔らかいです。そんな秋の夕日を浴びているススキには、なんとも言えない俳味を感じ、感慨深いです。
夕焼けに向かって歩く秋の暮
夕方にウォーキングをしていた休日、秋の綺麗な夕焼けに向かって歩くことがありました。実になんとも言えない気持ち良さでした。
侘しさや夕暮れ時の赤トンボ
秋になると、赤トンボが山から里に降りて参りますが、そんな赤トンボが夕暮れ時に飛んでいると、より一層の侘びしさを感じるのです。
侘びしさやつるべ落としの秋の暮
秋の落日は、つるべ落としで、あっという間に陽が沈みますが、そんな秋の暮には殊の外、侘びしさを感じ俳味や感慨が深いのです。
井の中の蛙の上も天高し
「井の中の蛙」と言えば、世の中のことを知らない、と、悪いイメージがありますが、そんな蛙も天の高さを謙虚に知っているのです。
秋風や山のほとりに法然院
若い時、京都の東山のほとりを歩いていた時、秋風が少し吹いておりましたが、法然院をお参りし、感動した想い出があります。
日暮れ時足を止めれば秋の蝉
日暮れ時に、急いで歩いていた足を止めれば、秋の蝉、ヒグラシが鳴いている鳴き声が聞こえて参りまして、ことのほか心に残りました。
鳴くことを忘れずにいる秋の蝉
蝉は、短命ですが、特に秋の蝉は、生命の終りを感じさせ、侘びしさを感じますが、それでも、いのちの働き、鳴くことを忘れていないのです。
忘れずに里に下りたか赤トンボ
秋になると、山から里に赤トンボが下ってきますが、毎年、忘れずに里に下りてくる様に、季節がらは俳味を感じ、感慨深いものがあります。
彼岸花刈り残したる畦道や
田んぼや畑の畔道に、彼岸花が咲いておりまして、その彼岸花だけ、刈り残して草を刈った様子に何か意味深く、感慨深いものを感じます。
やわらかな秋の陽射しは懐かしき
秋の陽差しは、夏のそれと違って、やわらかに感じます。そんなやわらかな秋の陽射しで、子供時代など思い出し、懐かしいのであります。