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枝々に蕾をつけて春を待つ
雪柳鉢植えの冬枯れの心許ない細い枝々には小さな蕾がついて春を待っております。これらの蕾は、春になると白い可憐な花を咲かせます。
柔らかき夕日の中や落ち葉踏む
小春日の夕日は柔らかいものです。そんな夕日の中に、独り歩いておりますと、サクサク、ザクザクと落ち葉を踏む音がことのほかあわれです。
夕暮れの陽はすぐ落ちる小春日や
冬の寒さ厳しい間の、滅多にない小春日が私は大好きですが、貴重な暖かさをもたらしてくれる陽も、夕暮れともなるとアッという間に沈みます。
冬眠の虫動きたる小春日や
家に中で、どこからどう入ったのかてんとう虫が冬眠しておりました。ある小春日に、そのてんとう虫がのそのそと動いておりました。
落ち葉踏む音にためらう散歩道
落ち葉に冬眠している虫達が隠れているかも知れませんし、そもそも落ち葉も自然の造形です。それを踏む音にも、ためらいを感じます。
春待つや日に日につぼみふくらみし
冬も終わりが近付き、春が近付いてまいりますと、冬枯れの細い心許ない枝々についているつぼみが膨らんでまいりまして、春が待ち遠しくなります。
友からの葉書受け取る小春かな
古くからのある友からの葉書を小春日に受け取り、小春日が大好きな私は、しばし昔を思い出し、感慨に耽ったのでありました。
冬紅葉枝に残りし二三枚
冬まだ浅き頃、冬枯れの紅葉の枝に、二、三枚の葉が散らずに残っている様子は、盛りの紅葉とは違った風情であわれを感じるのでありました。
短日や一切衆生に平等に
生きとし生ける者全てに、冬の短日は平等です。生き物は皆、この厳しい、暗い冬を工夫して何とか生残ろうと必死なのであります。
過ぎ去りし日々想い出す小春かな
厳寒の頃に、たまにある小春日が私は大好きなのでありますが、そんな小春日には、しみじみと過去を思い出し感慨に耽ることも多いのであります。
想い出に浸りて歩く小春かな
私は、たまにある小春日に、独りで歩いておりますと、昔のことが思い出され、その想い出にしばし浸りながら歩くのであります。
冬紅葉散り急ぐなよ急ぐなよ
冬紅葉は、チリチリに枯れて、風も吹いておらないのに、音もなく散ってしまいますが、それがなんとも物悲しく思えるのであります。
本山は小春日和の中にあり
京都には、仏教諸派の本山がいくつもあります。たまたま、浄土真宗本願寺派の本山の西本願寺を参拝した折には小春日でありました。
透き通る空気の中に紅葉散る
冬の空気は秋とはまた違って、一段と透き通るような感覚ですが、その中で枯れ紅葉がはらはらと風も吹かないのに散るのであります。
珍しく雲一つなき冬の空
冬と言えば、鉛色をした雲が低く垂れこめる空の印象が強いですが、ある日は珍しく、そんな雲一つなくまるで秋の空の様でした。
小春日や友の優しさしみてくる
寒さ厳しき冬のある日、小春の日でしたが友の優しい心遣いがしみじみと感じられる出来事も昔ありました。今でも懐かしいです。
山茶花の赤や何を言わんとす
なぜに山茶花は、この厳寒の下、派手に明るく赤く咲くのかは分かりませんが、まるで何かを主張して言いたげなようにすら感じました。
羽根縮め首も縮めて冬雀
冬の厳寒の朝には、雀達は、羽を縮め首も縮め丸っこく膨らんで厳しい寒さに耐えているのですが、その様子が妙に心に残りました。
山茶花の折れかけの枝花つける
山茶花は、折れかけの枝にも、明るく派手な赤い花を元気よく咲かせておりました。その様子に、植物の逞しさを感じのでありました。
年の暮読み残したる本の山
古書店巡りなどして、読むべき本を買い込んだのは良いですが、忙しさから、読み残している本が山となっております。反省すべきです。