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山茶花の上も鉛の空の色
冬に明るい色の花を付け私達の目を楽しませてくれる山茶花の上にも、鉛色をした雲が低く垂れ込めているのであります。
木枯らしに背を向け歩く小径かな
木枯らしの中を歩く時、身体に角度を付け、木枯らしに背を向けるようにして、少しでも寒さから逃れようとするのであります。
故郷の友思い出す小春かな
冬にめったにない小春日は、私は感傷的になりがちです。昔の故郷の友などを想い出し、その思い出に浸る事がよくあります。
年の暮れまた一つ陽が沈みけり
年の暮れは、年の瀬、とも言いますように、時間の経つのが速いですが、また一つ夕日が沈み、一日が終わってしまったのであります。
短日の日なた探して散歩道
短日の寒い冬では、日なたが貴重です。散歩などで日なたを探して歩くのであります。夏は逆に日陰を探すのであります。
水仙の白さに今日も教えられ
白い水仙の花は、実に清楚であります。願わくば、水仙の花のように清らかに生きたいと常日頃思うのであります。
夕暮れやポタリと落つる寒椿
椿は散るのではなく、落ちますが、寒椿が夕暮れ時にポタリと音を立てるかのように落ちる様子は、無常を感じます。
短日や昼に差す陽を惜しみつつ
冬の日は、短く短日です。昼に差す陽で少しは温まりますが、その陽が短いので何事につけ、惜しみます。
大晦日時計の針の速さかな
大晦日は、時間の流れが不思議とアッと言うほど速く感じられるものであります。時計の針も速く感じられるのです。
冬眠の虫動きたる冬日かな
冬でも日の差す日には、温まって、どこから入ったのか、家の中にいる冬眠中のてんとう虫がのそのそ動き出した様子をみたのでした。
幸せに気づかざれども小春の日
衆生本来仏なり、とは、白隠禅師の坐禅和讃の劈頭であります。冬の間に小春は訪れます。元から幸せだよ、と小春の日には幸せを実感出来ます。
縁側の主になりける小春かな
小春日が大好きです。冬の寒く暗い辛い中、小春日があると、縁側に座布団を敷いて、日向ぼこをするようなこともありました。
冷え切った心ほぐさん日向ぼこ
冬は、心も冷える凍えることもありました。そんなとき、日向ぼこをしておりますと、冷え切った凍えた心までが、ほぐれて来るようでありました。
傾いて行く陽を惜しむ小春かな
冬のめったにない小春日の傾いて行く陽を体感致しますと、小春日を惜しむ気持ちが強くなります。それでも、無常にも陽は西に沈むのであります。
過ぎし日を思い出したる日向ぼこ
日向ぼこをしておりますと、少しばかり感傷的になり、昔の出来事が、あんなこともあったな、と妙に想い出され、想い出にしばし耽るのでありました。
少しづつ心ほぐれる日向ぼこ
寒さと鉛色の雲に覆われた空の暗さ、その他諸々で、ふさいでいた気持ちが、日向ぼこをしておりますと、少しずつ心がほぐれていくのでありました。
寒椿ポタリと落つる音を聴く
寒い中、椿が折角咲いてくれたのに、落てしまいました。椿は、落ちるものですが、ポタリ、と、落ちるときの音を聞いたように錯覚致しました。
冬木立ち折れんとばかり枝の先
冬木立の枝先はとても細く心細く感じられます。特に、欅の冬枯れの枝先など、このまま枯れて折れてしまうのでは、と心配になるほど細い枝先です。
しぐるるや傘を持つ人持たぬ人
しぐれても、傘を持って差す人と、傘を持たず差さない人がいます。天気予報が外れて、傘を持つ人と持たない人に分かれました。
早朝のもやが立ちける冬の川
冬の早朝は寒く、気温より川の水の方が温度が高いです。ですので、川にもやが立つのですが、その幻想的な風景にしばし心奪われたのです。